福岡高等裁判所宮崎支部 昭和39年(ネ)53号 判決 1965年5月10日
主文
原判決を左のとおり変更する。
控訴人は被控訴人に対し、金一四万一、四六六円、および内金一万八、七四四円に対する昭和二九年四月一日より、内金一万九、二一二円に対する同年一〇月一日より、内金一万九、六九二円に対する昭和三〇年四月一日より、内金二万〇、一八五円に対する同年一〇月一日より、内金二万〇、六八九円に対する昭和三一年四月一日より、内金二万一、二〇六円に対する同年一〇月一日より、内金二万一、七三八円に対する昭和三二年四月一日より、それぞれ右各金員支払済に至るまで年一割の割合による金員を支払え。
被控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠関係は、被控訴代理人において
一、仮に本件契約中、控訴人に関する部分は、訴外岡世ナスヱが控訴人名義を冒用して締結したものであるため無効であるとしても、
控訴人は、
(一) 昭和二九年九月頃本件契約を追認した。
(二) そうでないとしても昭和三〇年九月頃本件契約を追認した。
(三) そうでないとしても昭和三四年七月八日本件契約を追認したものである。
民法第一一九条但書によれば、無効行為の追認は、新たな行為をなしたものとみなされる。よつて控訴人は右各追認の日に被控訴人と新たに本件契約と同旨の契約をなしたものであることを、順次予備的に主張する。
二、控訴人は原審において、昭和二九年九月頃責任を感じ、訴外益田宝明の本件債務につき保証人となつたことを認める旨陳述した。右陳述は昭和二九年九月頃控訴人の無効行為追認により、新たに本件契約と同旨の契約を被控訴人と締結したものである、との前記被控訴人の主張に対する自白に当ると解される。したがつて控訴人の右陳述の撤回は自白の取消に該当するので、右取消に異議がある。
三、被控訴人の名称は、昭和三九年三月三一日奄美郡島復興特別措置法の一部を改正する法律(昭和三九年法律第四三号)附則第一〇条第二項の規定により奄美郡島振興信用基金と変更された。
四、控訴人の後記二の(一)(二)および三の(二)の主張事実は否認する。殊に本件債権は商事債権でなく、民事債権である。
と述べた。
立証(省略)
控訴代理人において、
一、訴外益田宝明が本件連帯債務者となつたこと、本件債権が被控訴人主張の経緯により被控訴人に帰属したことはいずれも知らない。
二、仮に訴外益田宝明および控訴人が本件契約を締結したものであるとしても、
(一) 本件債務につき、訴外益田宝明は、竜郷村幾里所在の自己所有家屋に抵当権を設定していた。その後右訴外人が死亡したところ、その子である訴外岡世ナスヱは右家屋を右場所より名瀬市仲町八班に移転改築した。そこで控訴人は当時の債権者であつた鹿児島銀行にこのことを告げ善処方を要望したが同銀行は何らの処置もとらず放置しているうち、右家屋は昭和三〇年一二月火災により消失した。このように債権者が自己の懈怠により担保物件を喪失させながら、控訴人に本件債務の履行を求めるのは失当である。
(二) 本件債権は商事債権であり、被控訴人が履行期到来後である昭和二八年一〇月一日より五年間その権利を行使しなかつたので、昭和三三年九月三〇日の経過により消滅時効完成し、消滅した。
三、(一)、控訴人が被控訴人に対し、昭和二九年九月頃責任を感じ、訴外益田宝明の本件債務につき保証人となつたことを認める旨の控訴人の原審における陳述はこれを撤回する。
(二) 仮に右撤回が自白の取消に該当し、許されないとしても、主債務者たる訴外益田宝明の債務は、前記一の(二)と同一理由により、昭和三三年九月三〇日の経過により、消滅時効にかかり消滅しているから、控訴人の保証債務もまたこれに従つて消滅している。
四、被控訴人の前記一の予備的主張事実は全部否認する。
と述べ、立証として乙第一号証の一ないし三、同第二、三号証、同第四、五号証の各一、二、同第六ないし第九号証を提出し、当審証人喜入英辰、同森田常積、同富田幸夫の各証言および当審における控訴本人尋問の結果を援用し、甲第四号証の成立は不知、と述べたほか、原判決事実摘示どおりであるから、これをここに引用する。(ただし原判決二枚目表一行目より二行目にかけ「金三万五千二百四十七円」とあるのを「元金内金三万五千二百四十七円」と、同二枚目裏末行に「右は盗用されたものである。」とあるのを「右は盗用されたものである、と述べた。」とそれぞれ訂正する。)
理由
甲第一ないし甲第三号証中、控訴人名義の印影がいずれも控訴人の印鑑によるものであることは当事者間争がない。控訴人は右印影はいずれも何人かが控訴人の印鑑を盗捺したものであると主張するけれども、控訴人援用の証拠を以ては未だ右主張を肯認できない。よつて真正に成立したものと推認し得る甲第一ないし第三号証(ただし甲第二号証の名瀬市長作成部分の成立はいずれも当事者間に争いがない。)に、当審証人迫田健蔵の証言により成立を認める甲第四号証、原審証人前田忠次、原審および当審証人迫田健蔵の各証言、並びに弁論の全趣旨を総合すると、琉球復興金融基金受託者琉球銀行は、昭和二六年一一月五日控訴人および訴外益田宝明、同重山牧重を連帯債務者として、米軍票B券六万五、〇〇〇円(邦貨換算一九万五、〇〇〇円)を利息年五分、償還期限昭和三二年三月三一日、償還方法は元金を昭和二七年三月三一日まで据置き、その後元利金均等で半年賦払とし、毎年三月および九月末日に金二万二、二八〇円(邦貨換算額以下同じ。)宛支払うこと、(その内訳は昭和二七年九月三〇日、元金一万七、四〇五円、利息四、八七五円、昭和二八年三月三一日、元金一万七、八四二円、利息四、四三八円、同年九月三〇日、元金一万八、二八七円、利息三、九九三円、昭和二九年三月三一日、元金一万八、七四四円、利息三、五三六円、同年九月三〇日、元金一万九、二一二円、利息三、〇六八円、昭和三〇年三月三一日、元金一万九、六九二円、利息二、五八八円、同年九月三〇日、元金二万〇、一八五円、利息二、〇九五円、昭和三一年三月三一日、元金二万〇、六八九円、利息一、五九一円、同年九月三〇日、元金二万一、二〇六円、利息一、〇七四円、昭和三二年三月三一日、元金二万一、七三八円、利息五四二円であつた)連帯債務者が右半年賦払その他の約定に違反したときは、琉球銀行の請求により償還期限にかかわらず直ちに残債務の全部または一部を弁済すること、期限後の遅延損害金は年一割とする、等の約定で貸与したこと、がそれぞれ認められる。乙第一号証の一ないし三、同第二、三号証、同第五号証の一、二、同第七号証によるも右認定を左右するにたらず、当審証人森田常積、同富田幸夫の各証言、当審における控訴本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前記各証拠に対比して措信できないし、他に右認定を覆えすにたる証拠はない。
次に昭和二八年一二月二五日奄美郡島が日本に復帰して後、アメリカ合衆国が前記琉球復興金融基金の本件貸付金を含む一切の貸付金債権を国に、国はさらに奄美郡島復興信用保証協会(昭和三〇年九月一〇日設立)にそれぞれ委譲したこと、右協会がその名称を昭和三四年三月二〇日奄美郡島復興信用基金に変更し、さらに同基金が昭和三九年三月三一日その名称を奄美郡島振興信用基金(被控訴人)と変更したことはいずれも当裁判所に明らかである(奄美郡島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定第三条6、奄美郡島復興特別措置法の一部を改正する法律、昭和三〇年法律第一六三号、第一〇条の三第一項、昭和三四年法律第二三号附則第二項、昭和三九年法律第四三号附則第一〇条第二項)。したがつて本件貸付金債権は前記法律により被控訴人に帰属したというべきである。而して昭和二八年三月三一日までに本件貸付元金内金三万五、二四七円(第一、二回の半年賦金の元金に該当することは前記約定により明らかである。)が弁済されたことは被控訴人の自認するところであるが、その余の半年賦金が弁済されたことについては、控訴人は何ら主張立証をしない。被控訴人は控訴人らの右不払により、控訴人らは分割弁済の利益を失い昭和二八年一〇月一日にはすでに残元金一五万九、七五三円の全額につき履行期が到来し爾後全額につき履行遅滞の責を負うていると主張する。しかしながら本件契約中に、控訴人ら連帯債務者が前記半年賦払その他の約定に違反したときは、琉球銀行の請求により、償還期限にかかわらず直ちに残債務の全部または一部を弁済すること、との約定があつたことは前記認定のとおりであるところ、右約定の趣旨は控訴人らが半年賦金の支払を一回でも遅滞したときは、当然期限の利益を失い、残債務全額につき履行期が到来したものと解すべきではなく(かくの如く解すべき何等の証拠もない。)、かかる場合でも右銀行が控訴人ら連帯債務者に対し残債務全額の即時支払を請求してはじめてその全額につき履行期が到来するのであつて、右残額即時支払の請求がなされない間は依然として控訴人ら連帯債務者において半年賦払の利益を失うものでない趣旨であることは右約定の文理解釈上明らかである。ところで当審証人迫田健蔵の証言により成立を認め得る甲第四号証に同証言を綜合すると奄美郡島復興信用基金は昭和三四年七月八日始めて控訴人に対し本件貸金の残債務全額の請求をなしたことが認められるけれども、昭和二八年九月三〇日の弁済期後右昭和三四年七月八日までの間に本件貸金の債権者において控訴人に対し本件貸付元金残一五万九、七五三円の全額につき、即時支払を請求したことを認め得る証拠はないから、右同日右全額につき履行期が到来していたとの被控訴人の前記主張の理由がないことは明らかである。そうだとすると第三回以後の各半年賦金は当初約定の各弁済期毎に、順次履行期が到来し、控訴人らのその半年賦金不払により順次遅滞におち入つていたというべきである。控訴人は、債権者が控訴人主張の前記懈怠により、本件貸付金のため、訴外益田宝明において設定した抵当権たる家屋を失つたのであるから、控訴人に本件貸付金の支払を求めるのは失当である、と主張する。なる程、前顕甲第一号証によると、本件貸付金のため、大島郡竜郷村幾里六三番所在の家屋に抵当権が設定されていることが認められるが、右抵当権設定者が訴外益田宝明であること、訴外岡世ナスヱが訴外宝明死亡後右家屋を名瀬市に移転改築したこと、右家屋がその後火災により焼失したことを認めるにたる証拠はない。かえつて原審証人岡世ナスヱの証言によると同訴外人が大島郡竜郷村に所有していた家屋を名瀬市に移転改築したところ、右家屋がその後火災により焼失せられたこと、しかし右家屋は抵当物件たる前記家屋とは別物件であつたことが認められるから、控訴人の前記主張は理由がない。
次に控訴人は、本件貸付金債権は商事債権であり、被控訴人は履行期到来後である昭和二八年一〇月一日より五年間その権利を行使しなかつたので、昭和三三年九月三〇日の経過により消滅時効完成し、消滅した、と主張する。前顕甲第一号証、原審および当審証人岡世ナスヱの証言、当審における控訴本人尋問の結果(ただし一部)および弁論の全趣旨によると、本件契約がなされた当時、控訴人と内縁関係にあつた岡世ナスヱの父訴外益田宝明は、沖縄で料理店を開業すべく計画中であつたこと、控訴人ら連帯債務者は宝明の右営業資金(店舗建築資金)に充てる目的で本件貸付金を借受けたものであり、琉球銀行もまたその趣旨で本件貸付金を貸付けたものであること、その後現実に訴外宝明は右資金により沖縄で料理店を開業したことが認められる。右認定に反する証拠はない。このように債権者了承の上、営業の準備行為として資金を借受けた場合は、債務者は未だ営業開始前であつても商人資格を取得し、右資金借受行為は、商人たる債務者の附属的商行為となる、と解するのが相当である。そうだとすると本件貸付金は訴外宝明に対する関係では商事債権であるということができ、その消滅時効期間が五年であることは商法第五二二条により明らかである。而して控訴人の前記主張は、連帯債務者として右宝明の時効を援用する趣旨をも包含しているものと解せられる。ところで消滅時効は、当該権利を行使することができる時より進行するのであるが、控訴人主張の昭和二八年一〇月一日には本件貸付元金残一五万九、七五三円の全額については履行期が到来していなかつたことはさきに認定したとおりであるから、右同日を右全額についての消滅時効の起算日とする控訴人の主張は理由がない。しかしながら前記半年賦払の約定によれば、本件貸金について最後に内入弁済のあつた次の半年賦金支払の履行期は昭和二八年九月三〇日であり且つその半年賦金は第三回目の金一万八、二八七円であるから、その金額について右履行期の翌日である同年一〇月一日より消滅時効が進行することとなり、五年目の昭和三三年九月三〇日の経過により消滅時効が完成し、訴外宝明の本件債務は右時効により右金額の限度で消滅したこととなる。したがつて控訴人もまたその限度で支払を免れたということができる。
すなわち控訴人の消滅時効の抗弁は、右金額の限度で理由があり、その余は失当であるというべきである。
そうだとすると控訴人は被控訴人に対し本件貸付金残一四万一、四六六円、および第四回以後の各半年賦金額に対する各支払期日の翌日、すなわち内金一万八、七四四円に対する昭和二九年四月一日より、内金一万九、二一二円に対する同年一〇月一日より、内金一万九、六九二円に対する昭和三〇年四月一日より、内金二万〇、一八五円に対する同年一〇月一日より、内金二万〇、六八九円に対する昭和三一年四月一日より、内金二万一、二〇六円に対する同年一〇月一日より、内金二万一、七三八円に対する昭和三二年四月一日より、それぞれ右各金員支払済に至るまで、年一割の割合による約定遅延損害金を支払う義務あること明らかであり、被控訴人の本訴請求は右限度で理由があるからこれを認容すべきであるが、その余は失当であるからこれを棄却すべきである。しかるに原判決は本訴請求の金額を認容しているから、右のとおりに変更を免れない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。